コンテンツにスキップするには Enter キーを押してください

「井伊直虎」って女性なの?!

Pocket

■武の名門、井伊家の基礎を築いた井伊直虎

 桜田門外の変については、皆さん、歴史の授業で勉強しますね。その時に殺害された人物が、大老、井伊直弼です。大老というのは、今でいえば内閣総理大臣ぐらいの権力を持っていた存在です。その大老が殺害される事件は、徳川幕府に大きな衝撃を与えました。
 この、井伊直弼の井伊家は、徳川幕府にとっては非常に重要な家柄でした。そもそも、大老というのも、井伊家のほか、堀田家や酒井家など、一部の限られた家柄でしかなれませんでした。その中でも井伊家は、いわば徳川家のボディーガード筆頭兼特攻隊長のようなもので、徳川家の戦争では、必ず主力になる家柄でした。
 そのもととなったのが、戦国時代末期に活躍した、井伊直政(なおまさ)。赤い鎧で統一していたので、「井伊の赤備え」といわれ恐れられた人物です。
 そして、その井伊直政の養母だったのが、井伊直虎です。
 「直虎(なおとら)」という名前だけ見ると、猛々しい男性をイメージしますが、実際には女性でした。そして、この直虎が井伊家を守り、その後の発展の基礎を築いたのです。
 そもそも井伊家は、遠江の国(現在の静岡県)の領主であり、今川家に仕えていました。ところが、相次ぐ戦の中で男性のリーダーが次々に亡くなり、結果的に、直虎が井伊家を継ぐこととなります。
 直虎が井伊家を収めるようになってからも、苦難は続きます。今川家との対立の中で、徳川家康の協力を得るようになり、徳川家の力もあって今川家からの支配を脱することができたのもつかの間、攻め込んできた武田信玄によって領地が支配されてしまいます。
 最終的には、武田信玄が病気で死んだ後に、徳川家と共に昔の領地を取り戻すことができたのですが、直虎の人生はこのように、苦難の連続でした。
 ですが、そのような中で井伊家をまとめ、はとこだった直政を徳川家に仕えさせ、その後の井伊家の土台を築きました。
 「女地頭(地頭とは、リーダーの意)」と呼ばれた直虎の存在が無ければ、その後300年以上続く、井伊家はなかったと言えるでしょう。